大学の昼休み、学食でのことだ。

 たまたま鉢合わせて一緒に昼飯を食っていたサークルの友人から面白い話を聞いた。

 そいつのアパートから駅への道すがら、何度も何度も『貸室』の看板が掛け直される部屋があると言うのだ。

 あまりにも入れ代わりが激しいので家賃は相場の半分以下まで値引きされていて、敷金も礼金もゼロ、願ってもない好条件だからすぐに埋まるのだが、二~三週間もすればまた看板がかかる、しばらく前に埋まったようだったが、今朝また看板がかかっていたと言うのだ。


「それはちょっと耳寄りな話だな」

「おいおい、止めとけよ、ワケありに決まってるだろう?」

「ワケって何だよ」

「わからないけどさ、例えば、出るとか……」

「出るって何が?」

「出るって言えば決まってるだろう?」

「いや、言いたい事は分ってるよ、幽霊かなんか出るじゃないかって言いたいんだろう?でも家賃が今のアパートより安くて敷金礼金ゼロってのは魅力だよ、不況の折、仕送り減らされてるしさ、ありがたい話じゃないか」

「……出てもいいのか?」

「それこそ非科学的だぜ、お前は文学部だからそういうのも信じるかもしれないけどさ、俺は工学部だぜ、幽霊なんか信じないし気にしないよ」

「まあ、お前がいいならそれでいいんだけどな」

「ああ、分ってるよ、近いうちに案内してくれるか?」

「ああ、今日四限目が終わったらでどうだ? 今日はバイトもないからさ……」


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「ここか?」

「ああ」

 その日の夕方、不動産屋から鍵を預かった俺たちはアパートの下見に行った。

「すげぇな、駅から徒歩三分じゃないか、見たところかなり新しいしさ、あの家賃でここに住めるなら夢のようだよ」

「美味しい話には裏があるもんだぜ」

「まだ言ってるのか? 例え出たとしても平気だって言ってるだろう? 中を見てみたいな」

「ああ、だけど俺は中には入らないぜ、憑り付かれたりしたくないからな」

「ひとりで充分だよ」

 俺はためらわずに中に入って行った。

新築同様とまでは行かないが、まだ築十年は経っていないだろう、つい数日前まで人が住んでいたせいか空家特有のカビ臭いようなすえた匂いもない、ワンルームアパート形式の間取りで、フローリングの部屋は広くて八帖ほどもありクロゼットも付いている、キッチンは狭いがどうせ湯を沸かす位のものだから何の問題もない、浴室はユニットバスでトイレも清潔な感じ、洗面台も三面鏡付きの立派な物で、今住んでいる和室六帖のボロアパートと比べれば雲泥の差だ。

 気にしないとは言ったものの一応つぶさに調べてみたのだが、お札などは見当たらず、貼ってあった痕跡も無い様だ。


 外に出ると友人は半分こわごわと、半分何かを期待してるような様子で待っていた。

「……どうだった?」

「いいじゃないか、ここに住めるんだと思ったらウキウキしてきたよ」

「天井板のすきまから誰かが覗いてたとか……」

「天井はクロス張りだ、すきまなんかないよ」

「クロゼットの中に潜んで……」

「クロゼットは開け放してあったよ、本当に出やしないって、俺、決めたよ、不動産屋に戻って契約して来る、そのつもりでハンコも持ってきてるんだ」

「お前が良いと言うなら、俺は止めやしないけどな……」

「ああ、広くて綺麗、駅からも近くて、それも今使ってる駅より大学に近い駅だ、それでいて家賃も今より安い、しかも敷金、礼金はゼロ、それが事実さ、それだけだよ、俺は引っ越して来るぜ」

「忠告だけはしたからな、後で俺に文句言うなよ」

「言わないよ、その理由がない」


と言う訳で俺は早速引越しをした。


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「おい、どうだ? 出たか?」

 一週間ほどしてまたそいつと学食で一緒になった時、ちょっと心配そうな、しかし、何かを期待していそうな顔で聞いてくる。

「出るわけないだろう?」

「本当に?」

「まあ、夜中にガタガタ音がしたり、クロゼットの扉が勝手に開いてたってことくらいはあるけどな」

「うへっ、それって出てるんじゃねぇか」

「アパートには他にも住人がいるんだから音が伝わって来る位の事はあるだろうさ、扉だってちゃんと閉めてなかったのかも知れないしな、そもそも別に害はないぜ」

「マジかよ、肝が太いな……でもそれだけか? まだ何かあるんじゃないのか?」

「まあ確かにあるにはあるな、ははぁ、これでかってワケが」

「何だ?」

「麻雀だよ」

「は?」

 明らかにガッカリしている、半分ズッコケていると言ってもいいくらいに。

「一日おきくらいに隣の部屋で麻雀が始まるんだ、結構夜中までやってるな、この間レポートの締め切りで徹夜したんだが、二時くらいまでやってた」

「うるさいんだろう?」

「まあ、うるさいって言えばうるさいけどそれほどじゃないな、ヘッドフォンかけちゃえば気にならないレベルだよ、俺は寝つきが良いし滅多なことじゃ起きないしな」

「そういうことだったのか……」

「だろうな、まあ、ジャラジャラって音が少しは聞こえてくるけどそんなに古いアパートじゃないから筒抜けってわけじゃないぜ、それにあんまりでかい声で騒ぐわけじゃない、低い声がぼそぼそ聞こえるけど何を言ってるのかわからないレベルさ、引っ越して正解だったよ」

「そうか、良かったな……ちょっと拍子抜けだけど」

「だから言っただろう? 幽霊なんぞこの世にいやしないさ、むしろ怖いのは生きてる人

間の方でさ」

 そう言って笑い飛ばすと、友人もつられて笑った。


しかし……俺にもちょっと気になっている点はある。

 そんなに頻繁に部屋が空くのに家主が深夜の麻雀を黙認しているのはどうも解せない、例えば家主が遠くに住んでいたとしても不動産屋からは連絡が入るだろうし、こうちょくちょく空き室になるのだから気にしていないはずもないのだが……。


 そして、その謎は直に解けた。

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ちょっと友達と飲んで遅く帰った夜のこと、アパートの階段を登っていると後ろから声をかけられた。

「おう、新しく越してきたのはあんちゃんかい?」

 ドスの利いた低い声……振り返ると頬に大きな傷跡があるいかにもその筋の男だ。

「あ……はい、よろしくお願いします」

「ああ、よろしくな、お前さんの隣の部屋のもんだ、麻雀、うるさくはねぇか?」

「あ……はい……別にそれほどは……大抵ヘッドフォンかけてますし、寝ちゃうと滅多なことでは起きないんで……」

「そうか、そいつはありがてぇな……ときに、あんちゃんは麻雀やらねぇのか?」

「一応出来ますけどあんまり強くはないんです……」

「今夜よ、面子がひとり足りねぇんだ、やらねぇか?」

「でも、賭けてやるほどに強くないんで……」

「学生さんから金は取らねぇよ」

「はあ……」

「最近は俺らみたいな稼業のもんでもやらねぇのが多くてな、このアパートにゃ組の若いもんが七人住んでるんだが、麻雀やるのは四人しかいねぇんだ、ところがその内の一人が入院しちまってな……ひとつ頼まぁ」

 そこまで言われて断るのもなんだか怖い……仕方なく俺は面子に加わることにした。


 それにしても八世帯のアパートにヤクザが七人……つまり俺以外は全員と言う事だ……。

 

「おう、面子が揃ったって?」

「お、越してきたばかりのあんちゃんか、よろしくな」

 隣の部屋に集まってきたのはやはりいかにもその筋の顔……。

 最初の内は縮こまって卓を囲んでいたが、酒も入って打ち解けて来ると意外と気さくで楽しい人たちだった。


「ツモ! すみませんね、役満です」

「うお~、やられたな、こりゃ」

「あんちゃん、引きが強ぇな」

「たまたまですよ」

 麻雀の腕は確かに俺より上だったが、その日はやけにツイていて俺がトップだった。

 賭けには参加していないものの、麻雀もゲームだ、勝てば気持ちが良い事に変わりはない。

『ぶっコロスぞ』とか『覚えてやがれ』とか少々ガラの悪い言葉も飛び交うのだが、本気で言っているのでない事は明らか、同期でもオシャレな奴らとは話がかみ合わない俺にとってはむしろしっくり来るくらいだ。

「あんちゃん、気に入ったぜ、近頃の若ぇ奴らは軟弱でいけねぇが、あんちゃんは違うな」

「そもそも俺らの麻雀に付き合ってくれるくらいだ、肝が据わってるよ」

「組に欲しい位だぜ」

「おいおい、こちらはこれからモノ作り大国ニッポンを背負って立とうって工学部の学生さんだ、俺らみたいなはみ出しもんと一緒にするなよ」

「いやぁ、そんな大層なもんじゃないですよ」

「ときに、何を勉強してるんだ?」

「機械工学です」

「クルマとか作るのか?」

「ええ、設計開発部門に就職できたら最高なんですけど」

「きっとできらぁ、そん時ゃあんちゃんが設計したクルマを買うぜ」

「ははは、まだ海のものとも山のものとも定まってませんよ」

「いやいや、そりゃ無限の可能性を持ってるってことだ、ボーイズ・ビー・アンビシャスってな」

「わははは、お前ぇの口から英語を聞こうとは思わなかったぜ」

「馬鹿にすんなよ、ほかにも知ってるぜ、ソープだろ、クラブだろ、それにキャバレーもだ」

「馬鹿、キャバレーはフランス語だ」


 和気藹々だ。


 だが、その後、物騒な話題も持ち上がってきた。


「ところでよ、ヤスの奴ぁどうなんでぇ?」

「ああ、死にゃしねえってよ、ひと月ほどは入院らしいがな」

「どてっぱらにドスを食らったんだからな、命があっただけでもめっけもんだってことよ」

「落とし前はどうなってるんだ?」

「親分はでけぇ戦争にはしねぇつもりらしいぜ」

「なんだよ、それじゃ腹の虫が収まらねぇな」

「ああ、だけど俺らだけでヤスを刺した奴を半殺しにするくらいは構わねぇとよ」

「そうか、やるか?」

「ああ、当たりめぇだ」

「だけど向うも黙っちゃいねぇかもな」

「ああ、やっちまったらしばらくは気をつけてねぇとな」

「このアパートも危ねぇな」

「ああ、寝込みを襲うような汚ねぇ連中だからな……」


 俺は気もそぞろ……ツキもどこかへすっ飛んで行ってしまったようで、もし賭けていたらいくら取られたことやら分らない。

「あのぅ……そのヤスって人はどこで刺されたんでしょう……」

「おう、このアパートでだ、あんちゃんの真下の部屋だぜ」

 ぞっとしたが、そんなに大きな騒ぎはなかったはず……引っ越して来た当初は麻雀の音がしていたのだから、ヤスという人が刺されたのはそれより後の事と言う事になる……。

「救急車もなにも来なかったと思うんですが……」

「当たりめぇよ、どてっ腹にドスを食らったんだぜ、堅気の医者に担ぎこめるわけはねぇじゃねぇか」 

「と、言いますと?……」

「もぐりの医者がいるのよ、刀傷や弾傷を診てくれて口をつぐんでてくれる医者がな、しこたまふんだくられるけどよ、背に腹は代えられねぇだろう?」

「それにしても大騒ぎにもならなかったと思うんですが」

「ああ、ヤスは寝込みを襲われたのよ、どうやら向うにはピッキングできる奴がいるみたいでな、ヤスの奴ぁ口をふさがれてドスっとやられたらしいや、奴らがずらかった後でヤスが這って行って壁を叩いてな、隣の野郎がその音を聞き付けて踏み込んだ時にはもう血まみれのヤスだけよ、だから大騒ぎにはならなかったってワケだ……あんちゃんも戸締りだけはしっかりして置けよ、もう一つ鍵を付けとくことを勧めるぜ、外からは開けられないやつをな、部屋を間違われないとも限らねぇからな……現に以前……」

「おい! やめねぇか」

「おっと……すまねぇ、今のは聞かなかったことにしてくんな」


 ……いやいや、そんなこと言われても……。


 翌日、俺は鍵を三つ買ってきて取り付けた、しかし、そこまでしても落ち着いていられるはずもない、結果は明白だった……。

 まったく、この世に幽霊なんかいるはずもない、怖いのはむしろ生きている人間の方で……。


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「やれやれ、やっと出て行ってくれたか、今度の奴はかなりしぶとかったな、普通はポルターガイストを三日も続けりゃ逃げ出すんだけどな……」

 荷物が運び出されてガランとした部屋、半ば体が透けている人影がぼぅっと浮かび上がった。

「ともあれ、出て行ってくれて良かったよ……部屋を間違われて殺されるなんてのは俺で最後にしてもらいたいもんだからな……」


(終)